猿とタイプライター

世界でいちばん役に立つ「小説の書き方」解説

10. 紅の豚に見る三幕構成

 起承転結よりもはるかに論理的なストーリー構造作法に、ハリウッド映画などの脚本でよく用いられる"Three-act structure"(三幕構成)がある。これはとても参考になるので簡単にご紹介しよう。

 三幕構成はその名の通り、一本のストーリーを三幕に分ける。

・第1幕[30分]:Setup(配置)
・第2幕[60分]:Confrontation(対立)
・第3幕[30分]:Resolution(解決)

 各幕の長さは1:2:1の比率が望ましい。

 この三幕中に、とても重要なストーリー上のターニングポイントが三つ置かれる。第1幕の終わりと、第2幕のちょうど真ん中と、第2幕の終わりである。三つのターニングポイントによって、第1幕・第2幕前半・第2幕後半・第3幕に四分割される、と言い換えてもいいかもしれない(前回の記事で「起承転結と似ている」と述べた理由が早くもおわかりだろう)。

 三幕構成においては、「登場人物がなにか困難に直面し、それを乗り越える」、という筋がほとんどありとあらゆる物語に適用できると考える。第6回の記事で引用した村上龍の逸話とも噛み合う、きわめて妥当な考え方だ。

 したがって各幕と各ポイントは以下のような機能を持つ。

・第1幕:Setup(配置)

 主人公をはじめ登場人物たちがどんな人間か、舞台となる場所や時代がどんなところで作品の雰囲気がどんなものなのかを伝えるパート。

 ・ターニングポイント1

 主人公にとっての「乗り越えるべき困難」が登場する。どういう目標に向かう話なのかがここで明確になる。

・第2幕前半:Confrontation(対立)

 「乗り越えるべき困難」がますます困難になっていく様や、主人公がそれにどう対応するのかが描かれる。

 ・ミッドポイント

 話の方向が急変する事件が起きる。「乗り越えるべき困難」が主人公や観客の予想を超えた危機を引き起こすなどして、物語の緊張が一気に高まる。

・第2幕後半:Confrontation(対立)

 主人公は「乗り越えるべき困難」への対応を第2幕前半とは変えることになる。主人公の努力や挫折、「乗り越えるべき困難」のさらなる隆盛などが描かれる。

 ・ターニングポイント2

 話の結末に向け、主人公の行動をまっすぐに決定づける事件が起きる。破滅へのタイムリミットが設定されたり、「乗り越えるべき困難」に関する衝撃的な事実が明らかになったり、あるいは「乗り越えるべき困難」を打倒する糸口が見つかったり、などである。

・第3幕:Resolution(解決)

 物語は最高潮、最高速で展開し、主人公は「乗り越えるべき困難」を克服する。

 

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 では、実際に三幕構成になっている作品を分析してみよう。題材として取り上げるのは、宮崎駿監督作品の中でも最も明快な構成を持つ『紅の豚』だ。

・第1幕:Setup(配置)

 美しい海を舞台にした飛行艇が主眼の物語であること、主人公ポルコ・ロッソが賞金稼ぎで、空賊という敵役がいることなどが描かれる。

 ・ターニングポイント1

 Mr.カーチスが登場する。空賊に比べて明らかに格上で、どうやら主人公の宿敵になりそうだという雰囲気が醸し出され、観客はおそらくこのMr.カーチスが倒すべき敵になるのだろうと察する。

・第2幕前半:Confrontation(対立)

 Mr.カーチスが雇われたことによって空賊が一気に力をつけ、危険性を増したことが大型客船襲撃によって表現される。このパートでの主人公のMr.カーチスへの対応は、力を認めつつも対決はあまり乗り気ではなく後回し、という真剣味に欠けるものに留まっている。

 ・ミッドポイント

 ミラノに向かう途中に主人公がMr.カーチスに撃墜される。この事件によって、Mr.カーチスの存在は「倒すべき宿敵」に一気に格上げされる。

・第2幕後半:Confrontation(対立)

 主人公はミラノで飛行艇を修復する。Mr.カーチスに勝てる艇にしたいと語っていることからもわかるとおり、第2幕前半と打って変わって真剣にMr.カーチスに勝とうとしていることがわかる。

 ・ターニングポイント2

 主人公のアジトが空賊に襲撃されるが、フィオの胆力で危機を回避、さらにはMr.カーチスとの決闘の約束も取りつけてしまう。しかしその代償としてフィオの貞操が賭けられ、主人公にとっては絶対に負けられない戦いになる。

・第3幕:Resolution(解決)

  Mr.カーチスとの戦い、勝利。

 

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 いかがだっただろうか。きわめて機能的に脚本が組まれていることが一目瞭然だろう。余談ながら、宮崎駿は脚本家としても超一流なので、特に初期から中期にかけての作品はどれもいい教材になる。何度でも観ていただきたい。

 起承転結が三幕構成とはまるでちがうものだということもやはり一目瞭然のはずだ。第2幕前半はどう考えても「承」部ではない。「起」部を受けて発展などさせていないからだ。物語の転換が起きるのも三つのポイントであり、「転」部にあたる第2幕後半ではない。

 三幕構成においてなにより注目すべきなのは、「なぜその場所にそういう展開を置くべきなのか」という理由がはっきりしていることだ。特に強調しておきたいのは各幕の長さが1:2:1で、三つのターニングポイントが30分間隔で置いてある理由である。これは実に単純で、30分以上なにも起きないと観客が飽きるからなのだ。観客の心を二時間にわたってつかみ続け、最も効果的に揺さぶるために、30分間隔でターニングポイントが訪れるようにしているのである。他の各要素についても、ここでは詳しく触れないが、なぜそれが観客の感動のためなのかが明確に説明できる。

9. 起承転結の罪

 起承転結、という言葉を聞いたことがない人は、こんなブログを読んでいる人の中にはまずいないだろう。日本で小説作法とかストーリー作法の話になると、かなりの高確率で持ち出される概念だ。

 しかし、起承転結という考え方は物語にとっては役に立たないを通り越して有害である。今すぐ忘れた方がいい。

 

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 プロの作家でも、編集者でも、起承転結という言葉を使う人は多い。小説よりも漫画の編集が多用する。漫画は雑誌連載という形で発表されるケースがほとんどなので、小説の数倍のペースで「一本の話」を意識しなければならないのだ。連載一話分の中でも起承転結がしっかりしていなければならない、と漫画編集はよく言う。

 しかし、よくよく話を聞いてみれば、物語を四つのパートに分けて起部と承部と転部と結部を考えましょうなんてことはまったく言っていない。彼らの口にしている「起承転結」は、「話の頭とお尻が一貫して目的的につながっており、なおかつ起伏がしっかりあって読んでいて盛り上がる構成」という意味なのだ。たしかに、こんな説明の面倒な概念をずばりと一言で表せる言葉は他にないので、起承転結と呼ぶのは便宜上しょうがない。

 便宜上しょうがなく使っている言葉を真に受けて、物語を四つに分けて組み立てましょうと言っている人がたまに見受けられる。この愚直な考え方の有害なところは、四つに分ける理由も、その四つの分け方のはっきりした定義も、四つそれぞれがどのように読者の感動に寄与するのかも、まるで明確になっていないところだ。いちばんわかりやすい例は「承」部だ。「承」がなにを書くべき部分なのか、ちゃんと答えられる人間はいない。「起」部を受けてそれを発展させる、などと説明されることが多いが、それでは「起」部に含めてはいけないのか、発展というのは具体的にどういうことか、発展させることや「起」部と分けることは読者の感動にどう寄与するのか、という質問にはだれも答えられない。他の部分に関しても、同じように問い詰めていくと、「なぜそんな構造にすると面白くなるのか」という答えにつながらない。

 

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 けっきょくのところ起承転結というのは漢詩の四行詩の考え方である。

 四行という定型があるから、四つそれぞれに機能を当てはめる考え方が出てきたのだ(この四行という定型にもちゃんと理由がある。韻を踏む妙味が出る、最もシンプルな構成が四行なのだ)。それを、だれが言い出したのかは知らないが、小説とか脚本とかいった定型詩とはかけ離れた自由な形態のものに適用させようとしたのだから、無理があるにきまっている。論文とかビジネス文書とかにまで適用しようとする流れがあるらしいから恐ろしい。

 起承転結はあくまでも、四分割された定型を持つ作品にしか適用できない。つまり、現代日本において、起承転結は四コマ漫画専用である。

 

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 にも関わらず、なぜ起承転結がこれほどまでに人口に膾炙しているのかといえば、それなりの妥当性はあるからだ。

 前述の漫画編集の言葉を思い出してほしい。話の頭とお尻が一貫していて、間に盛り上がりがある、という構成のことを「起承転結」と呼んでしまうのは、起承転結と重なる部分が多いからだ。起部が話の頭であり、結部が話のケツであり、転部が間にある盛り上がりにあたる。もちろん起承転結の転に盛り上がりという意味はない。おまけに承は無視されている。しかしなんとなく意味は近いから、通じてしまう。また、後述するハリウッド映画脚本の構成も、やはりなんとなく起承転結に近い。

 しかし、あくまでもそれなりだ。妥当でない部分も多い。もっと妥当な考え方がいくらでもあるのだからそちらを使った方がいい。起承転結は今ここできっぱりと窓から投げ捨てよう。