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猿とタイプライター

世界でいちばん役に立つ「小説の書き方」解説

9. 起承転結の罪

 起承転結、という言葉を聞いたことがない人は、こんなブログを読んでいる人の中にはまずいないだろう。日本で小説作法とかストーリー作法の話になると、かなりの高確率で持ち出される概念だ。

 しかし、起承転結という考え方は物語にとっては役に立たないを通り越して有害である。今すぐ忘れた方がいい。

 

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 プロの作家でも、編集者でも、起承転結という言葉を使う人は多い。小説よりも漫画の編集が多用する。漫画は雑誌連載という形で発表されるケースがほとんどなので、小説の数倍のペースで「一本の話」を意識しなければならないのだ。連載一話分の中でも起承転結がしっかりしていなければならない、と漫画編集はよく言う。

 しかし、よくよく話を聞いてみれば、物語を四つのパートに分けて起部と承部と転部と結部を考えましょうなんてことはまったく言っていない。彼らの口にしている「起承転結」は、「話の頭とお尻が一貫して目的的につながっており、なおかつ起伏がしっかりあって読んでいて盛り上がる構成」という意味なのだ。たしかに、こんな説明の面倒な概念をずばりと一言で表せる言葉は他にないので、起承転結と呼ぶのは便宜上しょうがない。

 便宜上しょうがなく使っている言葉を真に受けて、物語を四つに分けて組み立てましょうと言っている人がたまに見受けられる。この愚直な考え方の有害なところは、四つに分ける理由も、その四つの分け方のはっきりした定義も、四つそれぞれがどのように読者の感動に寄与するのかも、まるで明確になっていないところだ。いちばんわかりやすい例は「承」部だ。「承」がなにを書くべき部分なのか、ちゃんと答えられる人間はいない。「起」部を受けてそれを発展させる、などと説明されることが多いが、それでは「起」部に含めてはいけないのか、発展というのは具体的にどういうことか、発展させることや「起」部と分けることは読者の感動にどう寄与するのか、という質問にはだれも答えられない。他の部分に関しても、同じように問い詰めていくと、「なぜそんな構造にすると面白くなるのか」という答えにつながらない。

 

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 けっきょくのところ起承転結というのは漢詩の四行詩の考え方である。

 四行という定型があるから、四つそれぞれに機能を当てはめる考え方が出てきたのだ(この四行という定型にもちゃんと理由がある。韻を踏む妙味が出る、最もシンプルな構成が四行なのだ)。それを、だれが言い出したのかは知らないが、小説とか脚本とかいった定型詩とはかけ離れた自由な形態のものに適用させようとしたのだから、無理があるにきまっている。論文とかビジネス文書とかにまで適用しようとする流れがあるらしいから恐ろしい。

 起承転結はあくまでも、四分割された定型を持つ作品にしか適用できない。つまり、現代日本において、起承転結は四コマ漫画専用である。

 

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 にも関わらず、なぜ起承転結がこれほどまでに人口に膾炙しているのかといえば、それなりの妥当性はあるからだ。

 前述の漫画編集の言葉を思い出してほしい。話の頭とお尻が一貫していて、間に盛り上がりがある、という構成のことを「起承転結」と呼んでしまうのは、起承転結と重なる部分が多いからだ。起部が話の頭であり、結部が話のケツであり、転部が間にある盛り上がりにあたる。もちろん起承転結の転に盛り上がりという意味はない。おまけに承は無視されている。しかしなんとなく意味は近いから、通じてしまう。また、後述するハリウッド映画脚本の構成も、やはりなんとなく起承転結に近い。

 しかし、あくまでもそれなりだ。妥当でない部分も多い。もっと妥当な考え方がいくらでもあるのだからそちらを使った方がいい。起承転結は今ここできっぱりと窓から投げ捨てよう。

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