猿とタイプライター

世界でいちばん役に立つ「小説の書き方」解説

11. 地図を見ていてもラピュタにはたどり着けない

 前回の記事を読んで誤解しないでいただきたいのだが、僕はべつに物語を三幕構成で作りましょうと言っているわけではない。構成がまずあってそこに物語るべきものをはめこんでいくのではない。物語るべきものが先にあって、それをどのように効果的に語るかを決めるために構成するのだ。三幕構成はただの道具だ。とても便利で使いやすくて強力な道具だけれど、こだわってはいけない。

 三幕構成にこだわっていたら作れない物語もあることを、同じ宮崎駿監督作品を使って説明しよう。『天空の城ラピュタ』だ。

 試みに、『天空の城ラピュタ』を前回の記事で解説した三幕構成で分析してみてほしい。主人公と、それが乗り越えるべき困難がなんなのか。困難が現れて物語が動き始めるターニングポイント1はどこなのか。困難が予期できない大きな危機を喚び起こして物語が加速し、主人公の困難に対する対応が変化するミッドポイントはどこなのか。困難が激化すると同時に解決への道が示されるターニングポイント2はどこなのか……。

 一見、うまくいきそうに思える。主人公はパズーで、乗り越えるべき困難といえばムスカだ。しかしターニングポイント1はどこなのだろう。ドーラ一家が襲ってきたとき? 逃げるパズーとシータの前に軍隊が現れたとき? あるいはシータがムスカに再度捕まったときだろうか。ミッドポイントは時間的に考えてもロボットが破壊されてシータを救出し、ゴリアテラピュタに出発したところだろう。しかしそれと前後してパズーのムスカに対する考え方はそんなにはっきり変わっているだろうか? ターニングポイント2はラピュタ到着? それともムスカラピュタ王だという正体を現したところ? しかしパズーがムスカを倒す話、にしては二人の関わりが薄くないだろうか? おまけにクライマックスでパズーはムスカを倒していない。

 三幕構成に当てはめようとしても、なにかうまくいかないはずである。

 なぜかというと、『天空の城ラピュタ』は二本立てだからだ。「パズー篇」と「シータ篇」から成る連作なのである。

 

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 パズー篇は、勢いばかりで無力な少年パズーが、勇気を出してヒロインを助け出すまでを描く物語だ。だからここでの「乗り越えるべき困難」はシータが狙われているという状況そのものであり、ムスカ個人ではない。ムスカがあまりパズーに関わらないのも当然である。ドーラ一家の手を借りて基地を襲撃し、シータを助け出すところで、あたかも映画一本が終わるかのようなクライマックスシーンが訪れるのも、二本立てだからだ。

 ここで物語が終わっても、主人公たちに特に問題はない。ムスカがシータを追っていたのは飛行石を持っているからと聖なる光の呪文を知っているからであり、すでにシータが狙われる理由は消え去っている。だからパズーとシータが日常に戻らず冒険を続ける理由は、「ラピュタムスカが正体不明でなんとなくもやもやするから」というかなり曖昧なものだ。これもまた二本立てであることの証拠となる。シータ救出はミッドポイントなどではなく、話の一区切りなのだ。

 そしてシータ篇が始まる。主人公はパズーではなくシータに切り替わっている。パズーは完全にヒーローとして成長しきっており、シータ篇においては悩みもしないし成長もしないし変節もしない。主人公がパズーではない証拠である。シータが「乗り越えるべき困難」は、「シータの人生にまとわりついていたラピュタそのもの」だ。だからムスカの過去やラピュタの歴史を聞いたときに「これは自分が始末するべき因縁だ」と悟り、ようやく立ち向かう覚悟を決め、ラストシーンは「ラピュタを滅ぼす」のだ。

 二本立てなのにどうして前後がばらばらになっている印象を与えないのかというと、いくつも理由はあるが、その最大のところは、パズーにとってもラピュタが「乗り越えるべきもの」として設定されている点だ。パズーにとってラピュタは最初、父親の夢の延長の、素晴らしい宝島だった。やがて真実を知ったパズーは「ムスカから石を取り戻そう」とまで言うようになる。ラピュタを倒すべき敵だと認識したのである。この変化がシータの物語と重なるために、パズーの物語が浮いているという印象を与えないわけだ。このあたりはテーマに関する記事でも同じような話を扱っているので再読されたい。

 

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 どうして二本立てにしたのだろう?

 僕は宮崎駿ではないが、理由はまあだいたい予想できる。パズーの物語も、シータの物語も、どちらも詰め込んだ方が面白くなるからだ。そしてパズー篇からシータ篇という連作構成にするのがいちばん効果的だと判断したからだ。

 繰り返そう。三幕構成だのなんだのにこだわっていたら、『天空の城ラピュタ』は作れない。構成に物語を合わせるのではない。物語を最も強く伝えるために最適な構成を考えるのだ。