猿とタイプライター

世界でいちばん役に立つ「小説の書き方」解説

5. 物語に火をつけろ

 前振りも終わったのでいよいよ物語の作り方の説明を始めようと書いておきながらいっこうに説明を始めないまま前回の記事は終わってしまった。今度こそ物語の作り方の説明に入る。

 しかし、ここが最も難しい。

 ひとまず、「あなたにしか書けないあなたの読みたいなにか」が手元にあるとしよう。しかしそれはおそらく小説を始まりから終わりまで一本しっかり書き上げられるだけの規模のものではないはずだ(最初からいきなり一本書けるのならあなたは天才なのでこんなブログなんか読んでいないでさっさと執筆に向かっていただきたい)。

 僕だってそうだ。最初はごくごく小さな火種から始まる。キャラクターであったり、最後のワンシーンであったり、トリックであったり、あるいは舞台設定であったり。そんな火種に必死に息を吹きかけ、藁をくべ、炎に育て上げる。その初動こそが最も難しく、なおかつ言語化できない。

 ふざけるな。そこがいちばん知りたいんだ。ブックマーク消すぞ。そんな声が多数聞こえてきそうだ。だからここは正直に、僕の経験上、役に立つだろうと思われることを列記する。

 

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1.物語をたくさん補給しておく

 小説や漫画をたくさん読み、映画をたくさん観る。書こうとしているのが小説なのだからやっぱり表現のしかたを学ぶためにも小説が最適だろう。「物語がいかにしてあなたの心を揺さぶるのか」をできるだけ多く学んでおく。読んで感動したら、なぜ自分が感動したのかをひたすら考える。考えないで読んではいけない。時間がもったいない。

 なにを読めばいいのかわからない?

 この人の小説を全部買って読みなさい。とても幸せになるでしょう。僕が。

 

2.四六時中そのネタについて考える

 とにかく、とっかかりとなった材料についてずっと根を詰めて考え続ける。気分転換をするとふといい考えが浮かぶかもしれないなどという幻想は捨てること。これまでの経験からいって、気を抜いてぼんやりしていたり遊んだりしているときにアイディアがまとまることなど一度もなかった。

 

3.シャワーを浴びる

 風呂場で髪を洗っているときにアイディアが出ることが多い。これは、目をつむって手を単純作業に従事させることで集中を促せることと、頭部へのリズミカルな刺激が意識に好作用を及ぼすことが理由として挙げられる。

 ただし、自分以外で洗髪中にアイディアが出ると言っている作家は寡聞にして知らない。

 

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 ふざけるな。当たり前のことと個人的すぎて役に立たないことだけじゃないか。ブックマーク消すぞ。そんな声が多数聞こえてきそうだ。しかたがないのでもうひとつ、少しちがう視点の話をしよう。

 物語が着火する瞬間、というものが存在する。材料を抱えてひたすら模索している段階のもやもやがいきなり晴れ、これは一本の話として創り上げられる、と確信できる瞬間である。

 実例を挙げて説明する。『神様のメモ帳』が形になっていったプロセスだ。

1) "NEET探偵"という単語をふと思いつく
2) 探偵の少女、語り部の男子高校生といったキャラをひとまず並べる
3) 探偵が出てきて語り部が高校生なら高校で事件が起きるんだろうなあ
4) 屋上から女子生徒が飛び降りるという事件はどうだろう
5) 飛び降りた理由がどんなものなら読んだ人は感動するだろうか?
6) あっ、思いついた!
7) そうすると麻薬がいちばん納得がいくな
8) 麻薬が出てくるなら都心が舞台で……

 上記のうちの6)が、物語の着火の瞬間である。読者をどうやって感動させるか、その仕掛けができたからだ。

 1)から5)までは、6)が訪れない限り無価値だ。アイディアと呼ぶのもためらわれる。読者の感動につながらないかもしれない、その材料は濡れていて火が点かないかもしれない、不燃物かもしれないからだ。着火していない物語はどう書こうとも必ず失敗する。

 したがって、6)がどうしても出てこないならその前の段階について再考すべきだ(飛び降りた理由で感動させるのはやめよう、女子生徒が飛び降りる事件はやめてべつの事件にしよう、事件ものじゃなくてべつのジャンルにしよう、キャラを考え直そう、というかNEET探偵って無理そうだしやめとくか……)。

 これまでも繰り返してきたし、これから先も何度でも繰り返すが、読者の感動だけがすべてで、そこにつながらないものは無用だ。あなたのふと思いついたキャラなり舞台設定なり場面なりを、どうやって読者の心に最大限に作用させるか。それを考えつくまで、あなたの心の火打ち金にあなたの頭脳の火打ち石をひたすらぶつけ続けること。

 

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 読者を感動させる仕掛けというのはクライマックスのことなのか? と思った人も多いことだろう。半分正解である。ラスト付近のいちばん盛り上がるところが読者を最も感動させるところなのだから、そこを思いついて「着火」するケースは非常に多い。とくにミステリ系の話では顕著で、「最後に明かされる意外な真実」を思いついたら物語が一気に具体化することがほとんどだ。実際に『神様のメモ帳』シリーズはどの巻の話もそうだった。

 しかし、着火点は必ずしもクライマックスではないから厄介だ。

 たとえば『さよならピアノソナタ』が「お話になる」と確信できたのは、最後のゴミ捨て場の場面を思いついたときではない。ベースとギターで演奏勝負するときの主人公が勝つ仕掛けを思いついたときだ。中盤である。

 『楽聖少女』はもっと早く、「ベートーヴェンがナポレオンの妨害と戦いながらも交響曲第三番を本来の《ボナパルト》という題名で発表する」という筋ができたときにすでに着火していた。本筋である主人公とゲーテの関係性については初期段階では考えてもいなかった。クライマックスどころの話ではない。

 ある意味では当たり前のことだ。クライマックス以外でも読者にはちょくちょく感動してもらわなければ困るからだ。作者によっては「戦闘のギミックひとつ思いついただけ」とか「主人公と相方の一連の会話を考えついただけ」とかでエンジンに火が入ってしまう人もいるだろう。

 

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 小説の書き方というのはどの段階においても「人によりけり」「話によりけり」の部分が多すぎて、普遍的な方法を提示しづらいものだ。

 それでも、ここはきっぱりと言い切ってしまおう。

 クライマックスで読者がどんな展開を読んでどんなふうに心を動かされているか、それをはっきりとイメージできない限り、あなたの思いつきにはなんの価値もない。この先の作業に進んではいけない。どれだけ素晴らしい思いつきだと自負していても、捨てる勇気を忘れないでほしい。

 もちろん、前述の通り他のケースもある。でもそれは慣れてからでいい。

 加えて、経験上、クライマックスを最初に思いついていたケースの方がその後が楽である。理由は(だいたい察する人もいるだろうが)後述する。