猿とタイプライター

世界でいちばん役に立つ「小説の書き方」解説

3. なぜ人は小説に金を払うのか?

 前回の記事の最後で、ある段階までは目的論を固めることも重要だと書いた。

 僕は小説を書いて売ることを仕事にしている。生活費を得たり、自己顕示欲を満たしたり、達成感を得たりといった複数の大きな目的に対して、小説を書くという方法が最適だと判断したからだ。今さら「小説を書くという方法はやめた方がいいのではないか?」とは考えないし、ましてや「生活費を稼ぐ必要があるのか?」とか「自己顕示欲を満たすべきか?」なんて再考したりもしない。

他人様が金を払ってでも読みたいと思うような小説を書く

 この段階まで、僕の目的論は固まっている。

 金を払うという行為は最大の讃辞だ。百万のきらびやかな称讃の言葉よりも、600円を払ったという事実の方がずっと重い。しかも僕は少年向けの小説を多く発表している。その600円はひょっとすると小学生の一ヶ月のお小遣い全額かもしれない。その小学生は、おやつもジュースもゲームソフトのための貯金もあきらめてまで僕の小説に600円支払うことを選んでくれたかもしれないのだ。その事実に、僕はこの上ない喜びを感じる。おまけに糊口をしのぐこともできる。良いことずくめだ。

 だから本ブログは「金を払ってまで読みたいと思わせる小説を書く」方法論しか述べない。他の目的、たとえば「世界中の人々をアセンションに導くような小説を書く」とか「片思いの彼を振り向かせるような小説を書く」とかの目的をお持ちの方は(それはそれでとても興味を惹かれるが)他をあたっていただきたい。

 

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 どうやったら他人様が金を払ってでも読みたいと思うような小説を書けるのか?

 根源的な問いだ。僕はこれまで執筆中に迷うたび、何度も何度もこの問いに遡って考えてきた。登場人物の造形、プロット、描写、語句、ありとあらゆるレベルの選択において、この自問を迫られる。どんな小説にすればいい? どんな小説が金を払ってまで読みたいと思わせられるのか? ……今のところ、毎回同じ答えしか出てこない。もしかしたら他のもっといい答えがあるのかもしれないが、思いつかない。

 感動する小説、である。

 

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 この「感動」という言葉がくせもので、多くの場合とても狭い意味合いに受け取られてしまう。おそらくあなたも、感動といえばじいんと痺れたり涙を流したりといったイメージが浮かぶのではないだろうか。

 ここでの「感動」はもっと意味が広い。読んで字のごとく、「感情が動く」ことを指す。どのような方向かを問わず*1、とにかく感情が大きく動くこと。的確に言い表す言葉が他に見つからない(「情動」も意味は近いが、どうしても突発的かつ非理性的なにおいを醸し出してしまう)ので、本ブログで「感動」と出てきたら広義のものだと捉えていただきたい。泣かせても、笑わせても、驚かせても、怖がらせてもいい。とにかく読んだ人の感情を大きく揺さぶる小説。それが金をもらえる必要条件だと僕は思う。

 こんなブログを読んでいるからには、あなたは自分で小説を書こうとしている人だろうから、これまでに他にも小説の書き方なるものを色々と目にしてきたかもしれない。やれ起承転結がどうとか、キャラ立てがどうとか、描写がどうとか……

 そういったすべてを、一旦投げ捨てて、疑ってみてほしい。

 それは読んだ人を感動させるためにほんとうに役立つのか? 役立つのだとしても、どのような仕組みで読者の感情に働きかけているのか? そして、他にもっといい方法はないのか? 問い続け、探し続けてほしい。僕だって今もそうしているのだから。

*1:とはいえ金を払ってもらえない種類の感動もある。「怒り」だ。他の感動を強める助走のための「怒り」はともかく、「怒り」単体では金にならない。なぜかは僕にもよくわからない。少なくとも、負の感情だからという理由ではないだろう。例を挙げるまでもなく、「哀しみ」や「恐怖」は立派に金を払ってもらえる。思うに、人を怒らせるのはだれでもできることで芸を感じさせないからではないだろうか(筒井康隆が『読者罵倒』という題名どおりひたすら読者を罵倒するだけの短編を書いているが、あれは読んで腹が立つから面白いのではなく罵倒のボキャブラリがあまりにも多彩だから面白いのである)。